会社がなぜ消滅したか―山一証券役員たちの背信
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定価 : ¥ 1,680
販売元 : 新潮社
発売日 : 1999-10 |
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普通のサラリーマンの会社であった「山一」は何故崩壊したのか? |
1997年、かつての業界トップ、長らく四大証券のひとつであった山一證券の破綻は、破綻会見での社長の号泣という強烈な映像をともなって記憶に残っている。
本書はこの山一證券が破綻に至った経緯を経営層の動きを中心に活写する。
破綻を単にバブル崩壊による経営の悪化という表層的な原因に求めず、昭和40年に起こった一回目の「山一破綻」にさかのぼり、その後この企業が持つことになる体質的な問題にまで切り込んでいく。軌道修正するチャンスは何度もあったにも係らず、経営トップの事なかれ主義からくる問題の先送り、直言する役員・社員を遠ざけ、問題を隠蔽しつづけた悪弊(一部の役員は破綻直前まで事実を知らされていなかったほど)に慄然とする。強烈なワンマン経営者がいたわけでもなく、普通のサラリーマンが出世してトップになり、または役員になった企業でこの事件が起こったことが浮き彫りになり、普通の企業でも同様のことが起こりえることではないかと考えさせられる。また破綻に至る数ヶ月の経営陣、銀行、大蔵省、政治家等の動きも詳細に記され、断末魔の声をあげる企業の最期の様相が印象的。
が、本書はそれだけに留まらない。
破綻直後、社員の手によって破棄された数々の不正行為に関する書類の存在、また社会に公表されなかった調査委員会の最終報告の存在などを明らかにする。
文書は新聞記者が書いたということもありわかりやすい。かなり広範に取材が行われたことをうかがわせる詳細で多面的な内容。各章の頭に記された「破綻まであと○年○日」というカウントダウンが生々しい。
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他人事ではない話 |
一連の金融機関破綻の発端である山一證券の破綻の過程を、読売新聞が辿った秀作。山一證券の破綻といえば、野沢社長の記者会見が思い出されるが、そこに至った過程が、臨場感あふれる描写で書かれている。
もう3年も前になる山一證券の破綻の過程を読んで思うのは、自分自身の仕事についてである。小さなミスは、見つからなければ問題ないと考えていた自分自身の考え方は、物の大小はあれど、起訴された山一の経営陣と同じ考え方ではないかと、この本を読んで自戒させられた。
情報公開や物事の透明性が求められている時代となってきているため、自分自身の身の回りも透明性を保つ必要があると痛感させられた1冊でした。
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「普通であること」 |
本書は、四大証券として日本の証券史の中でも一時代を画した山一證券がバブル崩壊から破綻に至るまでの歴史について、特に破綻直前の数か月に焦点を置いて記述した本である。特にその中でも主要な役割を果たした幹部たちの累積的な判断ミスと、その隠蔽がいかに破綻につながったかを詳述する。
勧善懲悪的なメンタリティから見れば、特定の経営者連中が集団的に悪事をなしたように、あるいは正義感の欠如が理由であるように理解することもあるかもしれないが、むしろ私は、本書がこれらの経営者を社のリーダーとして戴いた価値観そのものに切り込んでいるところに深みを感じる。いやしくも社長になる者は、全社的に通じるある種の価値観を体現しているものであり、そこに「先送り」「事なかれ」的な人が選ばれる、その選択基準=価値観自体について本書は事実を積み重ねてそのあり方を浮かび上がらせている。役員が含み損の先送りに走り、それを隠蔽するのも、まさに会社の中にあるその価値観の現れであり、当該役員が何か特別な悪者であるという理解は浅薄に過ぎるであろう。みな、普通の判断をしたのであり、その「普通」をすばらしく効率的にこなし極めた人が、結果として役員になり、「普通」をつきつめた結果が隠蔽であり破綻であったのではないか。
無論この「普通」というのは、別に特殊山一的な価値観ではないであろう。いわゆる組織人が、本書で背信の主とされた役員の立場にあったときに違う判断ができたかどうか。本書は、その辺は多少安易な責任論に堕している部分もあるが、緻密な取材に基づく豊富な事実は、その責任論よりも重く読者に問いを投げかけていると思われる。「あなた方ならどうするのか」と。
「普通」であることが尊ばれ、「普通」であることを求められ、「普通」を尽くしたら登用される。そんな大組織の中にあって、その「普通」そのものを疑うことの難しさを考えさせられる本である。
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「お友達」社会日本に怒り |
ダイエーに関する佐野真一氏の著作を読んだ時と同じ怒りが湧き起こった。経営トップの欺瞞と保身、不作為、秘密主義、一般社員の事なかれ主義と思考停止。日本の企業倒産を見ていると、必ずそこに犯罪が存在している、と言って言いすぎならば、経営者の判断ミスの重なりと御家騒動がある。一握りのお友達グループが実験を握り、秘密主義とお手盛りを繰り返す。いつになったら、日本企業は社会のものになるのだろうか?暗澹たる読後感と同時に、読売新聞社会部の記者たちの熱意が救いである。
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教訓は生かされるのか? |
本書は、山一証券が自主廃業に追い込まれる過程を生々しく描きながら、
個人の小さな背信の積み重ねが、
巨大組織をも崩壊させかねないことを警告している。
また、過ちを犯してしまった時に人は責任をいかにとるべきか、
潔く責任をとろうとしない人々の醜態を追うことを通じて、
我々に考えさせる。(果たして自分なら潔く振舞えるか?)
ちなみに、本書の前後に同「会長はなぜ自殺したのか」(新潮文庫)をぜひ読んで下さい(若干、読売新聞の報道の自画自賛が気になりますが)。
本書は山一の組織内部に絞ってミクロの視点から、
また、後者は政治家、官僚、財界というマクロの視点から、
日本社会の病巣をえぐっています。
蛇足。最近、世間では新会社法の話題が多いですが、
一見すると会社の経営陣に有利な内容が目立つ気がします。
新法の下で、経営者の背信から第二の山一が生まれないことを祈ります。